水上恒司の学歴と経歴は?岡田健司から改名した理由!

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朝ドラ『ブギウギ』でヒロイン・福来スズ子(趣里)の“最愛の人”、村山愛助を演じている水上恒司さん。

テレビドラマ「中学聖日記」で中学生役を演じて話題になった俳優さんですね!

水上恒司さんは、以前は「岡田健史」という芸名で活動していましたが、2022年8月に所属事務所を退所し、本名の水上恒司での活動を開始しました。

この記事では、水上恒司さんの学歴(大学、高校、中学校、小学校)や生い立ち、芸能界デビューの経緯などについて紹介していきたいと思います!

 

水上恒司の経歴

水上恒司の経歴

◆水上 恒司プロフィール
本名:水上 恒司(みずかみ こうし)
旧芸名:岡田 健史(おかだ けんし)
生年月日:1999年5月12日(24歳)
出身地:福岡県福岡市東区
身長 :178cm
血液型:O型

 

水上恒司さんの芸能界デビューまでの経歴

水上恒司さんは、中学1年生の冬に芸能事務所からのスカウトされたそうです。

小学2年生から始めた野球で甲子園を目指していたこともあり、5年に渡ってスカウトを断り続けていたのだとか。

5年も断り続けたというのも凄い話ですが、スカウトの執念も凄いですね。よっぽど魅力を感じたのでしょうね!

 

高校3年生の時、野球部を引退し、演劇部の顧問教師によって再びスカウトされます。

演劇部での活動が実り、彼は『髪を梳かす八月』という作品で特攻隊員を演じ、九州ブロック大会で最優秀賞を受賞し、全国大会に推薦されました。

しかし、高校卒業後の全国大会への出演は叶いませんでした。しかし、この経験を通じて、彼は俳優としての道を志すようになったということです。

 

2018年10月、TBSのテレビドラマ『中学聖日記』でオーディションに合格し、俳優としてデビュー。

この役で、『週刊ザテレビジョン』が主催するドラマアカデミー賞の助演男優賞を受賞しました。

2019年6月、水上さんの1st写真集『鼓動』が発売され、好評を博しました。7月には、福岡放送の50周年記念スペシャルドラマで初主演を務めました。

2020年、水上さんは映画デビュー作を含む4作品に出演し、ドラマ『MIU404』にも登場しました。

同年12月には、『ViVi』誌の「2020年下半期 国宝級イケメンランキング」で1位を獲得しました。

2021年、NHK大河ドラマ『青天を衝け』に出演し、その年の3月には3作品で日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞しました。

同年、水上さんは所属事務所との契約解除を求めて裁判所に仮処分を申し立て、その後、和解が成立しました。

2022年5月、初主演映画『死刑にいたる病』が公開され、約1年ぶりに公の場に登場しました。

8月には所属事務所との契約が終了し、本名での活動を開始。9月には合同会社HAKUと業務提携を結びました。

2023年2月、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』で重要な役を演じることが発表されました。

この役は、水上さんが以前出演した大河ドラマ『青天を衝け』での演技がきっかけで得たものです。

 

水上恒司の学歴と芸能界入りまで

水上恒司の小学校時代

水上恒司さんの出身小学校については、地元の福岡市内の公立校である和白東小学校と推測されています。

出身中学校の校区を考えると、福岡市立和白東小学校か福岡市立美和台小学校のどちらかになりそうですね。

ただ、水上さんの実家が福岡市内の和白地区にあることから、和白東小学校がより可能性の高い学校とされています。

水上恒司さんは、小学2年生の時からリトルリーグの「ヤング福岡ライナーズ」に所属し、野球を始めました。このチームは全国大会に出場するほどの実力を持っていました。

水上さんは、野球に非常に熱心な少年で、将来的にはプロ野球選手になることを夢見ていたと言われています。

野球への情熱は、野球経験者である父親の影響から来ているようです。

水上恒司の学歴と芸能界入りまで

水上恒司の中学校時代

水上恒司さんは、福岡県福岡市立和白丘中学校出身です。

中学校時代も、水上さんは野球に深く打ち込んでいました。

彼は小学校時代から「ヤング福岡ライナーズ小学部」で硬式野球を始めており、中学時代には、学校の軟式野球部ではなく、ヤング福岡ライナーズの中学部で硬式野球を続けていました。

水上さんが中学1年生の冬に芸能事務所からスカウトされたそうです。

しかし、野球への情熱からスカウトを断り続けていました。当時の水上さんは野球に集中していたため、スカウトのことはあまり気に留めていなかったようです。

 

水上恒司の高校時代

水上恒司さんの高校生活は、長崎県にある私立の創成館高校で過ごしました。この学校は部活動が活発で、特に硬式野球部は県内での強豪校として知られています。

創成館高校には、特別進学、デザイン、ライセンス、普通の4つのコースがありますが、水上さんがどのコースにいたかは不明です。

水上さんは野球への情熱から、地元福岡市から長崎県諫早市の創成館高校に越境入学し、野球部の特待生として入学しました。

高校時代は野球一筋で、特に冬のトレーニングが厳しかったと語っています。

水上さんは1年生と2年生の時に学年キャプテンを務めましたが、3年生の時には副キャプテンになりました。

高校1年の夏にはチームが甲子園に出場しましたが、水上さん自身はベンチ入りしていませんでした。

高校3年生の夏の大会で初めて正式なスタメンとして出場し、その試合で2安打を記録しました。

水上さんは、地元では「イケメンキャッチャー」として知られていたそうです。

高校卒業後は当初、社会人野球への進路を考えていましたが、高校3年生の夏に野球部を引退し、演劇部にスカウトされたことがきっかけで俳優を目指すようになりました。

水上さんは演劇部の舞台での経験を通じて、自身が俳優になることを決意したそうです。

水上恒司の高校時代

高校卒業後、芸能界入りへ

 

水上恒司さんは、もともと大学で野球を続けることを考えていたようですが、最終的には芸能界への道を選びました。

高校卒業後の春に上京した際、水上さんは芸能界入りについて熱心に両親を説得しました。

両親は当初、彼の決断に猛反対し、大きな衝突があったといいます。

水上さんは辛抱強く両親を説得し、5年間スカウトしていた現所属事務所「スイートパワー」との契約を結ぶこととなりました。

いまでは、両親も芸能活動を全力でサポートしてくれているそうです。

 

水上恒司が岡田健司から改名した理由

水上恒司さんは、以前は「岡田健史」という芸名を使用していましたが、本名に改名しました。

水上さんが所属していた芸能事務所「スウィートパワー」で社長によるセクハラやモラハラがあったことで、事務所に対して不信感を抱き、マネージャーや社長と距離を置くようになったということです。

また、仕事選びや労働環境に関しても、事務所に強い不満を持っていたことが報じられました。

契約期間がまだ2年残っていたにもかかわらず、水上さんは法律の専門家を伴って社長と面談し、契約解除を求めました。

その結果、2023年3月末の契約満了まで所属することになり、その後契約を更新せず和解が成立しました。

水上恒司さんは「スウィートパワー」への感謝の意を表明しつつ、本名での俳優活動を続けることを決定し公表しました。

 

事務所を退所した後は本名の「水上恒司」でフリーランスの俳優として活動を開始しました。

現在は自分自身で仕事の依頼を確認し、それらの依頼に対して受けるかどうかの決定も自ら行っているそうです。

 

水上恒司さんの人物像は?

水上恒司さんの人物像は?

水上恒司さんのこれまでの行動を見るに、自分の人生を自分の手で切り開くタイプだと分かりますね!

高校時代には野球にめちゃくちゃ熱中して、特待生としても活躍していたことからも、水上さんがどれだけ情熱的で、目標に向かって全力を尽くす人なのかを物語っているような気がします。

それに、野球から演劇にキャリアチェンジしたことも、彼がどれだけ柔軟で、新しいことにチャレンジするのが好きな人なのかを示していると思います。

俳優としての水上恒司さんの演技を見ると、自分を表現するのが上手だし、それでいて人間味あふれる一面も垣間見えます。

水上恒司さんって、自分の道を力強く歩む、情熱と柔軟性を兼ね備えた、とっても魅力的な人物だと思いますよ!

 

まとめ

今回は、水上恒司(旧芸名:岡田健史)さんについて、経歴や芸能界に入るきっかけなど詳しく紹介しました!

中学時代から5年間にわたってスカウトされ続けた経緯は、水上さんの特別な才能を示しているようですね!

水上さんのこれからの成長と活躍には大きな期待が寄せられており、俳優としてのさらなる成長と大ブレイクの可能性が秘められています。

特に、最近ではNHKの連続テレビ小説「ブギウギ」への出演など、改名後もその才能を発揮し続けています。

水上恒司さんの今後のさらなる活躍と大きな飛躍に、多くの人が期待を寄せていることでしょう!

 

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